Museum
2005.04.29 Kanzaki放送博物館 NHK放送博物館
2005.07.18 
科学博物館パンフレット
2006.05.07 交通博物館
2007.04.01 電気の史料館
2007.05.20 国立科学博物館
2007.07.08 Pnasonic Center TOKYO 科学博物館パンフレット海外編
2007.10.29 ベルリン 通信博物館
2007.11.11 鉄道博物館
2007.11.18 ミノルタコニカプラネタリウム満天

2008.03.22 工芸・技術博物館(Musee des Arts et Metiers)
2008.08.27 NTT技術史料館
2009.02.14 UECコミュニケーションミュージアム
2009.05.23 東芝科学館
2009.05.23 平和祈念展示資料館 昭和館
2010.07.24 逓信総合博物館

2010.12.04 タワー Tower 東京タワー
2010.12.04 東京スカイツリー  国内タワー 海外タワー International
2011.07.24 日本新聞博物館
2014.02.14 東芝未来科学館 
2019.10.14  内容一部修正

ご注意:記載内容が更新されていません。 このページ事態がすでに博物館です
逓信総合博物館 「大手町連鎖型都市再生プロジェクト」に伴い、2013年8月31日をもって閉館
逓信総合博物館 コヒーラ コヒーラ デコヒーラ

T.Y.K (YMOではない)
1914年(大正3年)12月に逓信省電気試験所技師の鳥潟右一、横山英太郎、北村政次郎三氏が苦心の発明したT.Y.K式無線電話が展示されている
   
平和祈念展示資料館 http://www.heiwa.go.jp/museum/index.html

開館時間
午前9時30分〜午後5時30分(入館は午後5時まで)

[入場無料]
休館日
年末年始
新宿住友ビル全館休館日
その他不定期(展示資料の入替日等)

〒163-0248 東京都新宿区西新宿2-6-1新宿住友ビル48階
・都営大江戸線「都庁前」駅「A6」出口より徒歩1分
・営団丸の内線「西新宿」駅より徒歩5分
・JR線、小田急線、京王線「新宿」駅より徒歩10分

お問合せ先・団体見学等の申込先
独立行政法人平和祈念事業特別基金
事業部 展示・フォーラム担当
TEL:03-5323-8709 FAX:03-5323-8714
 
昭和館 http://www.heiwa.go.jp/museum/index.html

開館時間
午前10時〜午後5時30分(入館時間は午後5時までです)

休館日
月曜日(祝日または振替休日の場合はその翌日)
年末年始(12月28日から1月4日)

常設展示室入場料(消費税を含む)
個人 団体(20名以上団体扱い)
65歳以上 ¥270 ¥230 、大人 ¥300 ¥230
高校・大学生 ¥150 ¥110 、小・中学生 ¥80 ¥60

駐車場の利用(乗用車のみ)
利用時間 午前8時30分〜午後10時 利用料金 1時間\200

〒102-0074 東京都千代田区九段南1-6-1 昭和館総務部
TEL.03-3222-2577 FAX.03-3222-2575
地下鉄東西線・新宿線・半蔵門線〈九段下駅/4番出口〉
JR飯田橋駅から徒歩約10分

 

NHK放送博物館  
愛宕山上り口
かなり急です。
反対側にはエレベーターがあります。
放送博物館 入り口
2004年10月撮影

105-0002
港区愛宕山2−1−1 メトロ日比谷線神谷町下車5分 
25年前のパンフレット
2005年のパンフレット
2006年のパンフレット
2007年のパンフレット
放送博物館(1980年頃)
ラジオの展示
NHK 初代放送機 
GE 電信電話送信機 AT-720 220W 800kHz
昭和40年代の展示風景
放送機名盤 GE 傘下のRCA 製
放送博物館にて(1980年頃撮影)

勝手に手を触れたので、
この後怖いおじさんに注意を受ける。
大電力強制空冷式三極送信管 8T71R(1980年頃撮影)

戦後の送信管発達について特筆すべきは、トリウム、タングステン陰極の水冷管への応用である。真空管材料の品質向上と排気技術の進歩により達成されたもので、国際電信電話株式会社・小山送信所での実装寿命試験に成功した。また陰極水冷三極管の開発では、各種の短波送信機に使われた。民間ラジオ局用には中波放送機用各種装信管の製作が盛んになり、1953年(昭和28)には陽極損失50kWの水冷三極管9T71、陽極損失25kWの強制空冷三極管8T71Rを完成させている。

   

 

NTT技術史料館
日本電信電話公社発足以降の半世紀を中心に、NTTグループの電気通信における技術開発の歴史的資産を展示を2部構成で展示している。歴史の流れを追って技術と社会の関わりを大きくとらえる「歴史をたどる」、技術分野ごとに技術発展の系譜を詳しく展開する「技術をさぐる」。

興味深い所蔵品が系統的に展示され勉強になります。

写真撮影禁止!! 常時一般公開をしていないので、確認必要!
資料価値が高いので大事に保存して欲しいと思います。

NTT技術史料館 
史料館は、NTT武蔵野研究開発センター内にあります。
さすが「通研」規模が「NHK技研」とはまったく違います。
   

 

 東芝科学館   http://kagakukan.toshiba.co.jp/
 2013年(平成25年)9月末に閉館
開館時間
午前9時〜午後4時45分
休館日日曜・祝祭日・東芝科学館特定日
くわしくは科学館カレンダーを確認 http://kagakukan.toshiba.co.jp/

入館料無料

神奈川県川崎市幸区小向東芝町1番地
バスの場合 川崎駅(西口北バスターミナル)からバスで約10分
川崎駅西口北バスターミナル、東急バス82番のりばから乗車。
(82番のりばから発車するバスならどこ行きでも良い。乗車時間約10分
注意![直行]東芝小向工場行きは行過ぎてしまうのでNG。

「東芝科学館前」で下車。「東芝研究開発センター」入り口より敷地に入るので要注意。徒歩1分で科学館入り口に到着。

東芝はこれまでに国産第一号または世界初の電気製品を開発してきた。 このコーナーでは代表的な製品を展示している。

UV-171

1925年(大正14)にラジオ放送が始まり、東京・大阪・名古屋など各地に放送局が開設。そのころから水冷式送信管の研究が進み、1927年(昭和2)に初めて10kW水冷三極管UV-207の開発に成功。

1930年(昭和5)になると当時の日本無線電信株式会社との共同研究で、20kW水冷送信管SN-167を使った大型短波送信機を完成させ、小山送信所に納入している。

満州事変が始まるとともに、無線通信装置の製作は多忙を極め、放送機も50kW、100kW、150kWと出力が増大され、基幹となる送信管も画期的な大型水冷管の製作へとチャレンジを始める。
1933年(昭和8)には陽極損失100kW水冷三極管UV-169を、翌1934年(昭和9)には150kw放送機用の陽極損失250kW水冷三極管UV-171を完成させ、戦前の送信管製作の歴史を塗り替え一大隆盛期を迎えた。

UV-171は全長165cm、最大直径は25cmの送信管で、設計から製作まで独自の方法で仕上げたもの。現在でも世界最大級にカウントされている。
1936年(昭和11)に完成した東京中央放送局(JOAK)の150kW放送機に使用された。満州事変に続く戦局の拡大により、大型水冷式送信管需要が増大したのである。この需要増大に対応するため、1935年(昭和10)には製造本拠を柳町において生産増強に努めたが、空襲、疎開、終戦といった時局の変転と共に、堀川町に本拠を移して再建に務めた。
放送機電子管 UV−204A
大正14年1925年3月東京放送(現NHK)仮放送所から日本初のラジオ放送を開始仮放送所で用いられた出力管の1本らしい。
東芝(マツダ)真空管の歴史

マツダ MAZDA    
ゾロアスター教の光の神であり光明、清純の世を作るという「アウラ・マヅダ」が由来。

明治43年1910年に世界の有名メーカーが優秀なタングステン電球の統一商標に「マツダランプ」と冠することが決められた。

東芝の創立者藤岡市助は、エジソン社と提携して得られた技術をもとに安定した電球を完成。これに「マツダ・ランプ」の名前を付ける。

東芝はこのマツダランプに改良を加え、大正10年1921年に「二重コイルフィラメント」、大正14年1925年に「内面つや消し電球」を発明した。

なるほど、海外に「MAZDA」と書いてある真空管があるのも納得がいく。自動車の「MAZDA」も同じ謂れ。
 20140223
  
東芝科学館は、東芝創業85周年を記念し、中央研究所の一部として1961年にオープン、地元の文化行事だけでなく、科学技術を学ぶのに最適な施設の場として親しまれてきた。1961(昭和36)年開館し約52年間を経て移転することとなり2013年9月末に閉館し、あらたに川崎ラゾーナ地区(川崎駅前)に「東芝未来科学館」として2014年1月31日(金)に リニューアルオープンした。
1961年(昭和36年)東芝科学館 開館
2013年(平成25年) 9月 東芝科学館 閉館
2014年(平成26年) 1月 東芝未来科学館 開館
東芝の歴史/TOSHIBA SPIRIT
田中久重の飽くなき探究心と熱い情熱

万年時計(正式名称:万年自鳴鐘)は、嘉永3年(1850年)から翌年にかけて、東芝の創業者「からくり儀右衛門」こと久重が設計・製作した機械式和時計。久重の生来の技術である金属細工と、からくりの才を素地として、高度の天文暦学と西洋の時計技術の精髄を取り込んだ最高傑作。
機構の精巧さもさることながら、優美さと気品を漂わす伝統工芸品としても高い精度を誇っており、2006年には国の重要文化財に指定された。
東芝の歴史/TOSHIBA SPIRIT
1号機ものがたり

東芝はこれまでに国産第一号または世界初の電気製品を開発してきた。
このコーナーではそれらの中から代表的な製品に関して、当時の時代背景や開発秘話を織り混ぜながら、皆様にご紹介いたします。
さて、懐かしい製品はありますでしょうか?
  日本初の三極真空管(オージオンバルブ)

戦前に当社の開発で日本の真空管の歴史が始まり、戦後は日本のエレクトロニクスの発達に貢献した。1916(大正5)年、日本で最初の三極真空管(オージオンバルブ)を完成した。これはアメリカのド・フォーレ(Lee de Forest)が実用的な三極真空管を完成してから10年目にあたり、ここに日本の真空管の歴史が始まった。
150kW放送機用の陽極損失250kW水冷三極管UV-171
「ENIAC」は1945(昭和20)年に開発され18,000本の真空管が使用された。このニュースは 1946(昭和21)年2月号の『Newsweek』に掲載された。マツダ研究所(現:研究開発センター)は「電子計算機製造の研究」へと発展し、東京大学(以下:東大)と 共同で「TAC」開発がスタートした。1959(昭和34)年1月21日に完成した。 ブラウン管メモリーによるコンピューターは日本では「TAC」のみで、読み出 し書き込みがすこぶる高速で、当時の輸入コンピューターIBM650が、 8時間かけてもできなかった計算を2時間で完了した。
アイコノスコープ
昭和20年1945年
http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/intercomp/wireless/tviconoscope.htm
  日本初のイメージオルシコン 5820
昭和28年1953年
3吋撮像管
  日本初の3吋カラーテレビ用イメージオルシコン 7513
昭和35年1960年
 

 

UEC コミュニケーション ミュージアム
University of Electro-Communications
UEC コミュニケーション ミュージアム

2011.5

調布駅からの目印 正門 16 G棟


第6展示室
電子とエレクトロニクス
受信管
膨大な真空管の展示
送信管
PHILIPS TAW12/35G

真空管の本数に圧倒される

GE
Langmuir Tube
 1912-1913
Marconi 1922
NT54  NU30
British Royal Navy
NT Navy transmitting
NU Navy rectifier
TESLA
HRD12XH Pp12kW
1930


SECO ELECTRONICS
RCA
TUBE TESTER
Hickok
Model 700
標準電波制御信号
発生装置
JJY 昭和33年3月


Hammarlund
SP-600JX
1950-1972
HALLICRAFTERS
SUPER SKYRIDER
SX-28 1940-1946
HALLICRAFTERS
SKYRIDER DIVERSITY
DD-1all options
1937-1938
   


  

日本新聞博物館 http://newspark.jp/newspark/greeting/index.html
マリノニ型 輪転機 1922年製 東京機械
無線電送車 エコーU 正面 後部
ハンドセット VHF NB無線機 5エレ八木アンテナ

ウォーキートーキー 無線装置 暗室設備

  


   


Kanzaki 放送博物館



タワー TOWER


東京タワー
ALWAYS三丁目の夕日

    

所蔵写真
テレビ放送開始当時は、東京タワーは無く、各社独自の送信鉄塔を有していた。NHKは、昭和28年に紀尾井町の千代田放送所に172.5m自立四角鉄塔を建設した。昭和34年1月10日に教育テレビジョン 1チャンネル10kWで東京タワーから放送を開始した。戦後暫くテレビの1チャンネルは米軍が使用していたため、総合テレビは、千代田放送所から3チャンネルで放送されていた。現在のチャンネル構成になったのは昭和34年4月7日から。

東京タワー 日本電波塔株式会社の鉄塔の愛称

竣工     昭和33年12月23日
構造設計  内藤多仲(早大名誉教授)
建築図面  日建設計
製作     竹中工務店
        三菱重工(大展望台より上部)
        松尾橋梁
建方     竹中工務店
        宮地建設
建設期間  昭和32年6月29日から昭和33年12月23日
鋼材重量  4,000トン
        新日鉄、鋼管 SS-41
        アンテナ支持塔体大同製鋼 SHT-52高抗張力鋼
地上高    333メートル
特別展望台はどこ?今日のタワーにくらべると実にシンプル。
特別展望台は建設当初展望施設ではありませんでした。もともとテレビ関係の作業台やアンテナ整備等に使用されてきたものを、昭和42年7月に一般公開したのです。その為2箇所の展望台が出来たのです。
http://www.tokyotower.co.jp/2005/web/06secret.htmlより引用
建設工程
塔脚基礎は、1脚に8本づつの深礎脚柱が地中深く東京湾海面水位まで達している深礎工法。

内藤多仲博士の業績より
左図から、25m〜30mの深礎脚柱が打たれている。海抜に一致している。

内藤多仲博士の業績より
1脚で4,000トンの重圧に耐える脚は径50mmの鋼棒20本で対角線に結合されている。その上に、日本電波塔科学館が建設されていることになる。30mの深礎脚柱が打たれているにもかかわらずこの徹底した安全設計には頭が下がる。

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この事は、中学生の頃、習字塾の奥津先生に聴いたことがことがある。奥津先生は、古川電工のアンテナ技術者でタワーのアンテナの建設にも関わっていた。「オームの法則」はこの頃に習得した。
難工事だったアーチ建設作業。「70mガイデリック起重機」が大活躍。当時の「鳶」の高い技能が建設を可能にした。父から聞いた話だが真っ赤になったリベットを大きなヤットコではさんで2,30メートル投げ上げる。円錐形の器具で受け取り素早く機械式ハンマーで打ち込む。
見事なアーチ。エッフェル塔を思い出させる。このページ後半を参照あれ。当時の江戸っ子はこの大きさに驚いたことであろう。
写真では見難いが「ガイデリック」という装置を上へ上へと引き上げ建設して行く。「デリック」とは、荷を動力を用いてつり上げることを目的とする機械装置であって、マスト又はブームを有し、原動機を別置し、ワイヤロープにより操作させるものである。荷の水平移動は必ずしも必要条件ではなく、荷を水平に運搬することができるものとできないものがある。「ガイデリック」は、1本の直立したマストと、その根元にピン結合されたブームで構成されており、マストはその頂部を6本以上のガイロープで支えられている。ウインチはデリック本体から離れた位置に据えつけられ、ワイヤロープによって、巻上げ、起伏、旋回の運動が行われる。
http://www.cranenet.or.jp/tisiki/crane.htmlより引用。
「三丁目の夕日」のワンシーン?
足場を固め資材を引き上げ、天に伸びはじめる東京タワー。
アーチ上部の資材置き場
ワイヤーと滑車で荷揚げを行う
18.7mの鉄塔頂部のターンスタイルアンテナ(Supertunstile antenna)古川電工株式会社製作。
タワー最上部 タースタイルアンテナと避雷針、避雷針の長さ160cm
2011.03.11 地震による被害
船外活動?地上の景色が曇って見える。宇宙飛行士もびっくりの高所作業。
避雷針から真下を見下ろす。
パンフレット
「ALLWAYS三丁目の夕日」プログラム特別付録
昭和33年当時の東京タワー来館者プログラム復刻版

東京タワーを建設する際、電波科学の権威を結集してそれぞれ綿密、慎重な検討を行なった結果、東京地区のVHFテレビ7局以上と将来開局が予定されるUHFテレビ局が、東京を中心とした関東一円(北は水戸、東は銚子、南は沼津、西は甲府)をサービスエリアとして安定な電波を送る場合に、鉄塔の高さは333mであるということがわかりました。こうしてみると高さ333mのタワーが昭和33年に開業したのは、偶然の一致ということになります。
 また、開業前の昭和30年当時、東京タワー構想を練っていた前田久吉(産経新聞)の心中はこうでした。「科学技術が伸展した現代では、300メートルの塔をたてるくらい、あえて至難の業でもあるまいと考えた。やれば必ずできる、と私は膝をうつ思いだった。つまり私の東京タワー建設に対しての自信と決意は、京都東寺の五重塔からあたえられた、ともいえる。出来る!必ずやりとげてみせる!私はコブシをかたく握り締めて確信をえた。
 私の練りに練ってまとめた東京タワーの構想は、これまでのお国自慢的な塔の背くらべとはケタはずれな、「どうせつくるなら世界一を……。エッフェル塔(320m)をしのぐものでなければ意味がない」というものだった。このエッフェル塔をしのぐ世界一の東京タワー建設の夢は、けっして平らな道ではなかった……。」
http://www.tokyotower.co.jp/2005/web/06secret.html より引用

昭和35年 展望台入場券      
開業数年後のプログラム(24頁)、開業直後に比べ充実し、詳細な説明があり、広告もカラーになっている。この頃は、テレビ送信施設の見学が可能であった。
昭和四十七年十二月発行 通巻一六九号のプログラム(20頁)。内藤多仲教授の解説も掲載されている。5階のテレビ送信施設はすでに見学できなくなっている。学生運動など治安悪化の影響。



昭和四十八年八月 通巻一七七号発行のプログラム20頁。「ウルトラマンタロー」のショウの記事がある。


1982年頃のプログラム。
8頁のシンプルな構成になっている。

1998年頃のガイドブック
        
東京タワー名物の模型お土産。
   放送博物館 カメラ再撮  

Super Turnstyle Antenna
Microwave antennas for TV outside broadcasting at Hi position
   放送博物館 カメラ再撮  

Microwave antennas for TV outside broadcasting at Low position
Radio relay room
内藤多仲博士の業績
定価4,000円
昭和42年3月1日印刷
昭和42年3月10日発行

編集 『内藤多仲博士の業績』刊行委員会 実行委員会
発行所 株式会社 鹿島研究所出版会『内藤多仲博士の業績』 「内藤多仲博士の業績」刊行委員会編 鹿島研究所出版会 1967 182p

 「Works III Towers 1925?1963」(p.70-103)にNHKの愛宕山タワー、東京放送局(新郷)、通天閣、別府タワー、博多タワー、名古屋タワー、東京タワーの記録写真があり、東京放送局(新郷)については応力図、別府タワーについては断面略図



早稲田大学TOP > オピニオンバックナンバー > 2007年度 >
No.269 内藤多仲博士の業績・「建築と人生」
http://www.waseda.jp/jp/opinion/2007/opinion269.html

INAX ギャラエリー
INAX BOOKLET
タワー 内藤多仲と三塔物語
著者 橋爪紳也、田中彌壽雄、内藤多四郎
定価 1,575円
A4判変型(210mm×205mm) 並製 72頁
ISBN 978-4-87275-836-8
2006年6月15日発行
東京タワー、名古屋テレビ塔、大阪通天閣。実はこれらの構造は、日本で初めて耐震構造を取り入れ、「塔博士」と呼ばれた内藤多仲が設計したもの。多仲を父に、都市を母にもつ、タワー3兄弟の約50年間の変遷とそれぞれの魅力に迫ります。

【三塔物語】--------------名古屋・大阪・東京
三都のタワー -----平成十八年三月
三塔が生まれた頃
通天閣と新世界 -----塔と街の物語 橋爪伸也
東京タワーから街を初めて撮った人
東京タワーのお客さん
パンフレットとお土産
座談会 街づくりと名古屋テレビ塔

【塔博士 内藤多仲】
多仲のタワーは六兄弟
日本の放送は多仲とともに
耐震建築の父
多仲の設計・構造設計担当作品
三塔を設計した頃 -----田中彌壽雄
私の父、私の家 -----内藤多四郎

・内藤多仲略年譜
・俯瞰する欲望 ‐塔の系譜・内藤多仲以前- -----橋爪紳也
・執筆者紹介

http://www.inax.co.jp/publish/book/detail/d_836.html より


地上デジタル放送用のアンテナ群
A,B群 NHK26,27ch、NTV25ch,放送大学28ch 
3素子型2L双ループアンテナ5段15面x2式

C,D群 TBS22ch,CX21ch,ANB24ch,TX23ch 
3素子型2L双ループアンテナ5段15面x2式

その下
メトロポリタンTV 20ch


テレビ番組中継用のFPU(マイクロ波中継装置)の
受信用空中線回転台


特別展望台(地上250m)

VHFデジタルラジオのアンテナ



東京スカイツリー
 
撮影時 高さ398m
7月4日日曜日のためクレーンは静止したまま
東武線伊勢崎線 曳船ホームから
地下鉄 日比谷線 北千住ホームから
ゆりかもめ 車窓から 台場駅停車中  
練馬から定点観測
2009年11月3日、11:05:14

クレーンが2機、顔を出し始めた
2010年5月13日、17:14:30

第一展望台はこれから建設
2010年7月17日、18:55:10

高さ398m第一展望台建設中
2010.09.09
2010.09.25
2010.10.11 12:40
 (478m 10/2)
2010.11.03 15:46
(497m 10/30)
2010.11.23 12:56
(497m 2010年11月20日現在)

2010年12月4日、16:13:56
(511m 2010年12月01日現在)


2010年12月23日、13:09:20
539m 2010年12月25日現在
2011年1月10日、16:31:54
http://www.tokyo-skytree.jp/
2012.05.06 21:00

横浜 山下公園から
2012年4月1日 山下公園にて

浅草 吾妻橋から

2012年4月8日 浅草隅田公園にて
2012年4月8日 浅草隅田公園にて
2012年4月8日 浅草隅田公園にて


国内タワー

 横浜 マリンタワー
 


各地のタワー
田無タワー

マルチメディアタワー 「スカイタワー西東京」 (地上高 195m)

http://www.skytower195.com/

自宅から撮影
翌日午前中の天気予報をカラーで表示

・紫色 : 晴れ

・緑色 : 曇り

・水色 : 雨
   
横浜メディアタワー

神奈川県横浜市西区みなとみらい4-7-3 
設計者:NTTファシリティーズ

掃部山公園から撮影
横浜メディアタワー

横浜美術館前から
     
NTTDoCoMoさいたまビル. 高さ218.5m

埼玉県さいたま市中央区新都心11-1
設計者:NTTファシリティーズ
竣工:2001年4月
   
NTTコミュニケーションズ 唐ヶ崎ビル

東京都目黒区中央町1丁目

http://denwakyoku.jp/COMkaragasaki.html

東急東横線から撮影
   
NTTコミュニケーションズ 湘南藤沢ビル
神奈川県 藤沢市 鵠沼神明一丁目 4

http://denwakyoku.jp/COMfujisawa.html

小田急車内から撮影
NTTコミュニケーションズ 湘南藤沢ビル
衛星地球局

JR東海道線から撮影
    
Googleより
NTT堂島
衛星地球局

http://denwakyoku.jp/doujima1.html
   
NTT Docomo代々木ビル 東京都渋谷区千駄ヶ谷五丁目 通称ドコモタワー

NTTドコモの自社業務用のビルであり、関係者以外の立ち入りはできない。NTTドコモの本社は千代田区の山王パークタワーである。

北側には直径約15mの大時計がある。2002年にNTTドコモ設立10周年を記念して設置された。シチズングループのシチズンTICが作成し、時針、分針ともに約1トンあるという。頂上の尖塔は32mのクレーンであり、クレーン部分を含めた高さは272mである。建物のスケールとしては地上50階を超える高さがあるが、ビルとしての構造を持つのは全体のうち下半分程度(地上25階)まで。残りの上層部はマイクロ波アンテナを設置するためのタワー(鉄塔)同然で、内部は空洞となっている。
関連サイト NTTドコモ代々木ビル - Wikipedia より
 
 
回転昇降式展望タワー
ひびきタワー 福岡県 110m
西武ゆうえんち ジャイロタワー 埼玉県   80m
ラ・レインボータワー 岡山県 (営業終了) 150m
鷲羽山ハイランド・スカイビュー 岡山県   22m
万代シテイレインボータワー 新潟県 100m
弥彦パノラマタワー 新潟県          100m
瀬戸大橋タワー 香川県 132m
宇和海展望タワー 愛媛県 107m
シーパラダイスタワー 神奈川県 90m
舞子タワー 兵庫県 (現存せず) 119m
from http://tower.30maps.com/

1992
 
  
海外タワー International

エッフェル塔

1889年3月30日 パリのエッフェル塔が完成
高さ約312m
1889年のパリ万国博覧会のために建設
鉄骨構造技術者エッフェル〔1832-1923〕の設計
第2次大戦後はラジオ・テレビ塔
セーヌ川のほとり近くに遊覧船乗り場

エッフェル塔は、フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた万国博覧のために建造された。

建設当時の高さは約312m(旗部を含む)で、現在は放送用アンテナが設置されたため約324m。展望台は3つあり、高さは57m、115m、276m。第2展望台までは階段でも昇ることが可能。

脚部には、ケーブルカーの様な斜めに登るエレベーターがあり、重厚な作りで印象的。

この写真の撮影日は、とても寒く、ドピーカンの日でした。公共機関の従業員はストでエレベーターは休業状態。知って知らずかチケット売り場には観光客の長蛇の列。2010/12/04 LT Paris Time
シャン・ド・マルス公園
地下鉄メトロ6号線 Bir Hakeim駅
郊外鉄道(RER)C線 Champ de Mar-TourEiffel駅

アルカテルのマイクロウエーブテレビ中継装置が見える。ウォーキー・トーキーを持ったムッシュが方向調整をしていた。1992.02.27LT
 
1996年8月の午後、観光ヘリに搭乗して上空から眺めて、夜になってから昇った。エレベーターのチケットは、赤い小さなチケットだった。102階の送信タワーに昇れることを知らず送信タワーに昇らなかったのが今でも残念に思う。下の写真は、アメリカ映画でたびたび舞台になった86階からの眺望。ウォール街方向。
 The Empire State Building, the 'Eighth Wonder' of the modern world is a vibrant, exciting component of New York City. It is both a commercial skyscraper, with over 900 tenants, and a symbol of New York. A National Landmark, this world famous Building was completed in 1931: just 1 year and 45 days after its construction began!
 Soaring 443 metres (1,454 feet) in mid-town Manhattan, the Empire State Building offers inspiring King Kong views around the horizon night and day. On a clear day, visitors can see five states from the indoor 102nd floor Observatory and the outside promenade of the 86th floor Observatory.
from http://www.great-towers.com/towers/index_us.html
Broadcasting from the Empire State Building started before the building was finished, with an NBC broadcast on Christmas Eve 1930. On ESB's opening night, May 1, 1931, NBC broadcast the RKO Theatre of the Air from the 86th floor. Radio programs included NBC's Mobil Oil Concert Hour and WOR's Manhattan Melodies and The Microphone in the Sky. Television debuted when NBC sent its first experimental television signal from the top of the building on December 22, 1931 and in 1939, they introduced the first regular television broadcasts with the opening day ceremonies at the New York World's Fair.  On July 25, 1950, New York City Mayor William O'Dwyer, RCA Chairman David Sarnoff and other dignitaries drove the first rivets into the base of ESB's broadcast tower. 

 Today, ESB is the center of the New York Tri-State region's broadcasting operations. Its technology supports delivery of broadcasting signals to cable and satellite systems and directly to television and radio receivers reaching over 7.4 million TV households representing over 6.5% of all TV households in the US. Over 130 antennas provide a variety of point-to-point radio and data communications services to utility companies, telecommunications providers and public safety agencies.   from http://www.esbny.com/
 

From Wikipedia, the free encyclopedia
EUROMAST

http://www..nl/en/entrance

ユーロマスト(Euromast)は、H.A.Maaskantによって設計され、1958年から1960年の間に建設されたロッテルダムのタワー。1960年のフロリアード(国際的な園芸見本市)開催に合わせて建造。

建築構造としては、9メートルの内径と30センチの壁厚を持ったコンクリートで建てられており、安全性のため重心が下になるよう1,900トンのコンクリートブロックを基盤として作られている。

当初は高さ101メートルでありロッテルダムで一番高い建物であったが、 一時期他の建築物に追い抜かれてポジションを失っていた。しかし1970年に建物の上へ「スペースタワー」を継ぎ足して更に85メートル高くなり、再びロッテルダムで一番の高さを取り戻した。尚、ユーロマストは世界大タワー連盟のメンバーでもある。

Kanzakiは、1997年5月この「ユーロタワー」を体験済み。コンクリートタワーの展望台の上に回転昇降式展望タワーが取り付けられた構造を見て驚いた。回転昇降するゴンドラは、「スペースタワー」の名の通りカウントダウンとロケット噴射音の演出で上昇する。遊園地(アミューズメントパーク)といった感じ。このタワー日本の営業中の回転昇降式タワーにくらべおよそ2倍の高さがある。

ユーロマスト - Wikipediaより

 
ベルリンテレビ塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
独:Berliner Fernsehturm

用途 電波塔、展望台、 高さ 368.03 m 、着工 1965年8月4日
竣工 1969年10月3日、10月7日
所在地 ドイツ ベルリン市ミッテ区アレクサンダープラッツ

テレビ塔は、旧ドイツ民主共和国(東ドイツ)によって、東ベルリンだった地区に1965年から1969年にかけて建設され、テレビ塔は現在はドイツテレコムの所有

この塔はシュトゥットガルトで1950年代に建設開始された世界初のコンクリート製テレビ塔・シュトゥットガルトテレビ塔(Fernsehturm Stuttgart)と同様の構造で、シュトゥットガルトの塔より高く、東ドイツの工業力を示すものだった。
建設は1965年8月4日に開始された。円錐形の高さ250mの鉄筋コンクリートの塔を建て、さらにアンテナ塔を継ぎ足す工事は、4年の歳月をかけてほぼ完成し、1969年10月3日には試験放送が行われた。公式なオープンはその4日後の1969年10月7日、ドイツ民主共和国の誕生から20周年を迎える建国記念日のことだった。
 

中央広播電視塔 - Wikipedia

中央広播電視塔(ちゅうおうこうはんでんしとう)は中華人民共和国北京市海淀区に位置する電波塔。「北京テレビ塔」、「セントラルラジオ&テレビタワー」と呼ばれる事もある。北京で一番高い構造物であり、アンテナ最高部は405mに達する。238m地点に一つの展望台を持ち、展望室とそれに付随するレストランからは北京市内を一望できる。1992年に竣工し、20世紀90年代十大建築の一つ。
北京 23-27 Nov 2008
 
AT&T Communications Building - Atlanta, GA

The AT&T Building (formally known as the Southern Bell Telephone Company Building) is located at 51 Peachtree Center Avenue, on the northeast corner of Auburn Avenue. Designed for Southern Bell by Marye, Alger and Vinour, and completed in 1929.

from Welcome to Waymarking.com!

Southern Bell Telephone Company Building

2008.06.10-15
 
BT Tower

The BT Tower is a tall cylindrical building in London, England, located at 60 Cleveland Street, Fitzrovia W1T 4JZ. It has been previously known as the Post Office Tower, the London Telecom Tower and the British Telecom Tower. The main structure is 177 metres (581 ft) tall, with a further section of aerial rigging bringing the total height to 189 metres (620 ft). It should not be confused with the BT Centre (the national headquarters of BT), or the British Telecom Tower (Birmingham).

From http://en.wikipedia.org/wiki/BT_Tower

1999.10.01-10.13
British Telecom Tower (Birmingham).

The British Telecom Tower (formerly known as the Post Office Tower and, before that the GPO Tower) is a landmark in Birmingham, England, and is also the tallest building in the city.

from British Telecom Tower (Birmingham)

1999.10.01-10.13

 

2inch VTR  
The Ampex VR1000 is the original quadruplex VTR, and also the first VTR ever sold. The machine comes in two parts: the tape transport and the electronics rack unit. This machine is most definitely NOT solid state! It was only capable of recording and playing back black and white, and it contained no timebase corrector. (Color was so new that this wouldn't be a problem for a few years.) In the spirit of Ampex'es modular design concept, this machine could be updated piecemeal until it was nearly a VR1200!

There are several variants on this machine, such as the VR1000B, VR1002, etc. I do not what the differences are. The machine in the picture is a VR1000B.

A surprising number of these machines still exist, and some even work. All tube machines, however, are quite rare. Ampex has a restored, operational machine in their museum in Redwood City, Ca. This museum is a 'must see' for any broadcast or electronic equipment collector! (1-13-2000 The museum's contents are in Colorado Springs, looking for a new home!)http://www.lionlamb.us/quad/ampex.html より引用

参考写真 hip://www.lionlamb.us/quad/ampex.html より
テープ幅2インチ幅のオープンリール方式のビデオテープに記録するもので、アメリカのAMPEX社が開発。世界中で広く使われ、日本でも1980年ころまでは各放送局で大活躍。

http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%81VTR


所蔵写真 恩師横山教授より
所蔵写真 恩師横山教授より
テープ走行時

所蔵品
スコッチ 2インチ ビデオテープ ポリエステルバッキング
磁性面
(磁性体が改良されて黒に近い茶色)

所蔵品
スコッチ 2インチ ビデオテープ ポリエステルバッキング
バッキング面

所蔵品 恩師横山教授より
2インチ ビデオテープ 磁性面
酸化鉄磁性体の茶色で初期のものと思われる
(保存状態が悪くシワになっている)

所蔵品 恩師横山教授より
2インチ ビデオテープ
   

 

鹿島10mおよび30mカセグレンアンテナ

所蔵写真 恩師横山教授より

10-m and 30-m Cassegrain Antennas at Kashima 1963
Now-defunct Radio Research Laboratory, and NEC

1964年に米国のシンコムIII衛星を用いて史上初の東京オリンピックTV中継に成功. 10mアンテナはTV送信用,30mアンテナはモニタ受信用に用いられた.

10-m Antenna 30-m Antenna
Frequency 7359.4232 MHz 1725 MHz , 4170 MHz
Antenna Type Cassegrain Cassegrain
Gain 55 dB at 7359.4232 MHz about 58 dB at 4170 MHz, about 49 dB at 1725 MHz

尾上,平井,"シンコムIII号衛星によるオリンピック東京大会のテレビジョン国際中継," 電波研究所季報, vol. 11, no. 52, pp. 1-5, Jan. 1965.
田中,鈴木,河野, "シンコム中継の成果について," 電気通信学会雑誌, vol. 48, no. 4, pp. 685-704, Apr. 1965.
尾上,宇田,石沢,大橋,佐藤,"宇宙通信鹿島地上局アンテナ",アンテナ研究会資料,Sep. 30, 1964.
「電波研の宇宙通信実験施設完成」,電気通信学会雑誌,vol. 47, no. 6,p.975,
大橋,"シンコム通信地上局アンテナの設計", アンテナ研究会資料,Jan. 19, 1965.

「アンテナの歴史」委員会
http://ap.ei.tuat.ac.jp/index_j.php

 

 

箱根駅伝

東京箱根間往復大学駅伝競走は、1月2日、3日に行われ関東の大学対抗の駅伝競走。通称箱根駅伝(はこねえきでん)。

大手町読売新聞本社前から鶴見、戸塚、平塚、小田原の各中継所を経て、芦ノ湖湖畔までの往復コース。往路108.0km、復路109.9km、計217.9km。1月2日に東京から箱根への往路を、1月3日に箱根から東京への復路を走る。

駅伝ラジオカー 1号車(東京ナンバー)
1970's Ford Country Squire station wagon

横浜市営バス 平沼橋バス停付近

駅伝ラジオカー 2号車 (大阪ナンバー 大阪難波ー?)
1970's Ford Country Squire station wagon

京浜急行戸部駅付近
駅伝ラジオカー 3号車
(東京ナンバー)

京急戸部駅付近
   

 

科学博物館パンフレット
〜国内編〜  
多摩六都科学館  
 
我が家から一番近い科学博物館は、西東京市にある多摩六都科学館。当時の西東京6市が建設した博物館。直径27.5mの大型ドームのプラネタリウムは世界最大級。
引退した GOTO GSS-HELIOS
http://www.goto.co.jp/
更新されたプラネタリウム投映機 CHIRON II
「ケイロンII」は、次世代型プラネタリウム
「GOTO HYBRID PLANETARIUMR」用に開発された光学式投映機
世界で初めて1億4000万個を超える星々の投映を実現
   2012.08.26
国立科学博物館  

20070520更新
上野の森にある国立科学博物館。地球館(新館)と日本館(旧館)二つの建屋から成る。振り子のゆれる方向で時間が分かるフーコーの振り子があり、地球館4階のはく製の数には圧巻、鉱石、化石標本も豊富。
  
日本館  フーコーの振り子

科博コンセプトブック展示目録 \800

 

電気の史料館
2011年3月11日の東日本大震災ならびに福島第一原子力発電所事故に伴い、2011年3月14日以後、一時休館中(再開未定)のため一般の来場は不可となっている。電力館やトゥイニー・ヨコハマなどは休業のまま一斉閉館(廃止)となっている。
東京電力の研究所の隣にある電力、電気事業に関連する史料を集めた史料館.100年以上電力・電機産業を担ってきた発電機や変圧器など実物が展示されている.お世話になったに違いない発電機、本物の迫力!デカイ、スゴイ、カッコイイ!機械好きにはたまりません

場 所:神奈川県横浜市鶴見区江ヶ崎町4-1
開館日:2001年12月15日(土)

展示
・エジソン式直流発電機

・開館時間/9:30〜17:30(入館は17:00まで)
休館日/毎週月曜日(祝日の場合は翌日)および年末年始
※電気の文書館は9:30〜17:00まで。(土・日・祝日および、年末年始は休館)

・入館料/
大人300円
大学生200円
高校生〜小学生100円 春休み期間中で無料でした

・ガイドツアー :
専門家(東電OB)がやさしく解説.(所要時間:約80分)おすすめ
・信濃川発電所立軸フランシス水車発電機
     電気の史料館マーク

・千葉火力発電所1号タービン発電機 
 

・無料シャトルバス (定員28名)
えんじ色のマイクロバス
発着場所 は川崎駅東西連絡通路の西口階段下 バスターミナルと反対側だ!

・お弁当は3Fのビジタールームで食べられる.カップの飲み物自動販売機あり
・ミュージアムカフェはインスタントだけど安いよスパゲッティーとコーラで500円
・館内は禁煙、指定場所以外飲食禁止
・お弁当、お菓子の売店はない
http://www.tepco.co.jp/shiryokan/home-j.html

電気の史料館 ガイドブック
発行日 2003年5月1日

発行 電気の史料館

館内展示品の解説書 2,100円書籍表紙以外はKANZAKI撮影でガイドブック掲載の写真ではありません
皇居正門石橋飾電灯 日光第一発電所水車発電機

岩本発電所SFガス遮断器  遮断容量 2,500,000kVA

  

科学技術博物館
工業関連の振興財団などが出展している科学博物館が竹橋にある科学技術博物館。米村でんじろう(サイエンスプロデューサー)が5Fワークス の展示・サイエンスショーの企画協力をしている。
  
   
日本科学未来館
 お台場にある宇宙飛行士の毛利衛さんが館長の日本科学未来館。正式には博物館ではないため、学芸員は必要ないらしい。私は毛利さんの講義を受け、ボランティアの登録をしたが忙しくてなかなか参加できない。展示は結構珍しい物が多いが小学生には難しいかも。
    
   
サンシャインシティー プラネタリウム  

http://konicaminolta.jp/manten/index.html

INFINIUM(インフィニウム) S
http://konicaminolta.jp/planetarium/hard/p_infiniums.html

プラネタリウム投映機「インフィニウムS」
恒星数12,800(6.8等星)〜15,000個(7.0等星)天の川エリアで約250,000個

http://konicaminolta.jp/planetarium/hard/index.html
 
コスモプラネタリウム渋谷 2012,05,19

17m 2010/11
第3世代統合型プラネタリウムGEMINISTAR-V(S)
ドーム形状 水平型/傾斜型
ドーム直径 12〜20m(Type S)
客席数 100〜200席(Type S)
推奨恒星数 12,800〜15,000個(Type S)



 可動シャッター

赤道投映器と黄道投映器にはそれぞれのレンズの前に錘で動く可動式のシャッターが付いています。 


光学式プラネタリウムの開発

世界初の近代的なプラネタリウムは、1923年、ハイデルベルクのバーデン天文台の主任研究員であったマックス・ヴォルフとドイツ博物館のオスカー・フォン・ミラーが、天体運行の再現による説明を行うためにイェーナのカール・ツァイス社に依頼し、ツァイス社の技師であったヴァルター・バウアースフェルトによって発明されたものである。「ツァイスI型」と名付けられたこの投影機は、北天用の1個の恒星球と惑星棚を備え、約4500個(おおよそ6等星まで)の投影を行うことができた。恒星原板の採用や、集光レンズを使用してドーム内に星像を投影するという現在の光学式(レンズ式)プラネタリウムの基本的原理は、この時点でほぼ完成している。この投影機はドイツ博物館に収蔵され、現在も展示されている。

 

科学博物館パンフレット
〜海外編〜
フランス パリ
 

放電実験

発見宮殿
(Palais de la decouverte)
http://www.palais-decouverte.fr/

Ave.F.D.Roosevelt,Paris
 地下鉄Franklin D.Rooseveltで下車。グランパレ(Grand Palais)という名の大きな建物の中にある。この建物は1900年のパリ万国博を記念して建造されその一部が発見宮殿になっている。

 1937年に科学の普及を目的にとして,ジャン・ペランの提唱により開館した。他の科学博物館とは異なり,職員(学生)による講義・実験に力が注がれ科学を理解する場所である。実験設備も充実し、様々な実験が行われている。コッククロフト型高圧発生装置による静電気の実験は迫力。パリ大学の附属のため,大学院生が全面的に協力している。
http://www.shinko-keirin.co.jp/hakubutukan/index.htm より引用


 1992アルベールビルオリンピックの帰りにパリ泊があり、地下鉄を乗り継いで見に行った。日本の科学博物館と大きく違い設備と解説が非常に充実していた。子供の頃に帰ったように大人も非常に楽しめる博物館であった。フランス語がわからなくてもとても楽しい。



当然プラネタリウムも設けられている。アールデコ調の入り口でわくわくする。解説は当然フランス語、日本でも行われているスライド多用した番組(私が見たのは世界一周をしながら各国の宇宙観を紹介する内容)を見ることができた。


工芸・技術博物館
(Musee des Arts et Metiers)


60 rue Reaumur 75003 Paris
地下鉄: Reaumur-Sebastopol 下車徒歩5分
Tel:+33(0)1 53 01 82 00
http://www.arts-et-metiers.net
月曜日・祝祭日休館
火曜日〜日曜日 10〜18時 木曜日21時まで 2008年2月現在
 サンマルタンデシャン教会の建物を利用した国立博物館。1794年にグレゴワール神父により創設されして200年の歴史を有し,イギリスの大英博物館に次いで古い。科学用用具は、フランスの化学者アントワーヌ・ロラン・ラヴォワジェのコレクションを中心に展示されている。
 
 主な展示品としては,フーコーの振り子の実物があり、他にも多くの部屋があり,光学機器,楽器,ガラス製品,機械装置,映写機など展示がある。

 無線のコーナーではブランリの発明したラジオコンダクタ(コヒーラ)と,それに続いて無線技術を確立したマルコーニの無線機がある。

Coherer

Magnaric detector by
Marconi 1902
また,科学用用具の部屋には、17,18世紀のフレネル,パスカル,マリュス,ビオ・サバール,アラゴー,シャルル,クーロンなどのオリジナル実験器具が多くある。この館はミュンヘンのドイツ博物館,ロンドンの科学博物館に匹敵する優れた史料を多く有する。

http://www.shinko-keirin.co.jp/hakubutukan/index.htm より一部引用

 1992年ごろは、これまでの技術の推移ををすべて集めたかのようなものすごい数の収蔵品が展示されていた。表示、解説がなく科学博物館というより巨大なアンティークショップのようだった。写真撮影は禁止だった。
 
 2000年に改修され7つの分野に分かれ、時代毎に整理され表示、解説がされるようになった。各国の言語で音声ガイド(日本語あり)も行われている。フラッシュなしであれば写真撮影も可能であった。
 今回は、コヒーラを中心に見学した。現在、検波について研究しているので大変興味深く見学することが出来た。このHPにも研究成果を発表する予定お楽しみに。
23.Mar.08

コミュニケーション展示室内

Facade

Pendule de Foucault
   

科学産業都市 ラ・ヴィレット
(Cite des Sciences et de l'lndustrie La Villete)
http://www.cite-sciences.fr/francais/indexFLASH.htm

30Ave.Corentin Cariou 75019 Paris
地下鉄7号線で市内中心から約20分,Porte de la Villete下車
 フランス革命200周年記念の一環としてパリ北東の元食肉処理場跡に建設されたラ・ヴィレットは科学産業年という意味である。科学技術を普及・啓発する目的で生まれたこの施設は従来のものとは全く異なった新しい発想と方法で科学と産業の姿を紹介する世界でも最大級の施設である。周囲を運河に囲まれ,敷地は35万平方キロメ−トルあり,年間500万人が訪れている。エキスプローラと呼ばれる展示場は音,光,映像などのメディアを駆使して宇宙,地球,生命,物質などを紹介している。また,水族館やプラネタリウムもある。
 全体が銀色に輝くジェオードと呼ばれる巨大な球形映写施設では超広角レンズのオムニマックス映写機とものすごい音響効果のスピーカーシステムで科学映画を上映している。
 周辺一帯は公園になっていていろいろな施設があり,まさに「年」そのものであり,パリの新しい名所になっている。このような奇想天外なタイプの科学館のあり方についての評価は,訪れる人によって分かれると思われる。フランス国民の未来志向型の面が現れているといえよう

http://www.shinko-keirin.co.jp/hakubutukan/index.htm より引用

1994年パリの休日をここで過ごしたが、緑の原っぱの中にあり、とても新しく美しい博物館であった。さすがフランス洗練されていた。
   
イギリス ロンドン
 



コッククロフト・ウォルトンの加速器

科学博物館(ロンドン)
(The Science Museum)

:EXHIBITION ROAD,LONDON SW72DD
http://www.sciencemuseum.org.uk/
:地下鉄の South Kensington 下車が便利である。
 バスも多くの路線が近くを通っている。
 付近には自然史博物館や美術工芸品の展示で知られる,
 ビクトリア・アルバート博物館があり,博物館の密集地区である。
 この科学博物館は世界でも最大の規模を誇るもので,1909年に創設され,基礎科学,技術,交通機関等の展示が主である。まさに科学博物館の草分けといえる。最近,展示の大幅な改装がなされ,従来の「展示物を見せる」方式から近代的な「観客参加型」への移行が見られる。
 このような傾向は,ヨーロッパ各地の古い科学博物館の改装にも少なからず影響を与えているようである。展示品としては,産業革命の生まれた国だけに,まず目につくのは,有名なワットやニューコメンの蒸気機関,スティーブンソンの蒸気機関車ロケット号,製鉄,紡績関係などの大きな装置が当時をしのばせてくれる。また,鉄道,自動車(初期のベンツやロールスロイスなど),飛行機,海運などの交通関係にもかなりのスペースが使われている。
  ロンドン科学博物館では多くの科学史上有名な実験装置に接することができ,大きな興奮を覚える場所である。特に目を見張るのは原子物理・核物理のコーナーである。
 全般的にいえることは,徹底した実物展示主義であるということである。また,これは他では真似のできない点であろう。本物に接する喜びがここにある。
 売店も充実していて,大人向けから子ども向けまで数多くの科学図書,標本,教材などが広いスペースで販売されている。
 この科学博物館に隣接して生物および,古生物の展示を主とした自然史博物館(特に大型ほ乳類の剥製や始祖鳥の化石は見もの),地球の歴史の解説や岩石・鉱物のコレクションの展示のある地質学博物館がある。時間があればこちらもぜひ訪れたい。
 
http://www.shinko-keirin.co.jp/hakubutukan/index.htm より引用

 バーミンガムでの仕事が終わりロンドンで時間が出来たので、地下鉄でサウスケンジントン駅で下車し徒歩(けっこう歩く)で訪ねた。子供たちが多くとても賑やかだった。


こちらも参照ください

   
ドイツ ミュンヘン
 

ドイツ博物館
(Deutsches Museum)

:Museumsinel1,Munchen
http://www.Deutsches-Museum.de/
:ミュンヘン中央駅(Hauptbahnhof)から地下鉄で3つ目の
 Isartor下車徒歩5分,イザール川の中の島にある。
市内を流れるイザール川の中の島に建つドイツ博物館は世界屈指の科学博物館である。日本をはじめ,世界各地の科学博物館はここを参考にして建設されたものが多い。規模は大きく,全部見るのにおよそ16km歩くといわれる。ドイツの生んだ科学・技術・産業のすべてにわたりその姿を知ることができる。ヨーロッパ科学博物館めぐりの旅としてはロンドン,パリとともに欠かすことのできない場所である。
 内容は一般的な展示のほか,観客参加型博物館の草分け的存在で,自分でスイッチを入れて実験をしたり,職員によるデモンストレーションも行われている。
 技術関係の展示が,量・質ともにものすごい規模である。 イギリスの産業革命を代表するのが蒸気機関と紡績機だとすれば,ドイツでは,エンジン,モーター,発電機である。それらの大型機器やダイムラーとベンツ以来の数々の自動車をはじめ,航空機,船(特に潜水関係)などの交通機関,各種の工作機械の展示に広いスペースがあてられている。さらに,ドイツ得意の工業化学,冶金などの工業関係や,珍しい分野としてダムや道路,トンネル,橋といった土木関係のものもある。マニアにとっては膨大な種類のカメラのコレクションは見逃せないだろう。また,ピアノ,ハープシコードをはじめとする充実した古典楽器のコレクションも見事である。これらの楽器は,職員によって実際に演奏もされている。  展示の方法として装置の原理を理解させるために一部を拡大したり,断面を見せたりなどの配慮も行き届いている。
 売店の規模も大きく,図書,参考資料,模型その他豊富である。
 バイエルン州の首都ミュンヘンは南ドイツの政治・経済・文化の中心で,スイスとオーストリアとの国境に近く,付近にはノイシュバンシュタイン城やバイエルンアルプスなどの観光地をひかえ,ビールの都としても知られている。

http://www.shinko-keirin.co.jp/hakubutukan/index.htm より引用

 ザルツブルグでの仕事が終わり立ち寄った。たった3時間の滞在だった。プラネタリウムの公開時間と飛行機の時間が合わずプラネタリウムツァイス1015型を見る事はできなかった。この年この地方では皆既日食が見られそれに因んだみやげ物が多く売られていた。

1923年にドイツ博物館カール・ツアイス社が、 ドーム型のスクリーンに、投影機で星空を投影するプラネタリウムを発明した。惑星すなわちプラネットを投影するのでプラネタリウムという。
   
アメリカ アトランタ
 



ファーンバンク自然歴史博物館
アトランタ、ジョージア30307 767 クリフトン道(N.E.)
http://www.fernbank.edu/museum/
http://en.wikipedia.org/wiki/Fernbank_Science_Cente
r
開館日、毎日(ただし感謝祭日およびクリスマスは休館)

 ファーンバンク自然歴史博物館は、この森を少女の頃から愛したエミリー・ハリソンの夢によって設立された。エミリーは博物学者で、彼女のまわりの植物および動物に関して学習することが生きがいであった。  彼女は最初にそのエリアを「Fernbank」と呼び、記録では、1880年代の終わりには公にも認められた。
 大人になったエミリーは森林学校としてFernbankを保存することを夢見た彼女は、1930自然教室の教師を退職し。同時に、山林学に関する研究を始めるため、彼女はジョージア大学に入った。
 1938年には、彼女と友達のWoolfordベイカー博士が子供のころ遊んだこの土地を購入し保存するためにFernbank社を創設した。エミリー・ハリソンの森林は今Fernbankの森と呼ばれ、敷地は65エーカーで、それはアメリカで最大の古い成長都市のpiedmont森林である。
 1970年代の終わりには、自然史博物館への関心は科学の範囲を越えて成長した。Fernbankサイエンス・センターで既存の学校に焦点を置いたプログラムに一般大衆のためのプログラムおよび設備を加える考えがあった。 
 1992年10月5日のファーンバンク自然歴史博物館は、古い森林にある世界のただ一つの博物館のとして、一般に公開された。その時以来博物館は、成長し、その収集を拡張していった。2001年には、Fernbankが世界の最大の恐竜を展示する世界の第1の博物館なった。
 直径70フィート のIMAX がある。そこで私は、スペースシャトルのIMAXを見ることができた。リモートコントロールで宇宙を飛翔するIMAXカメラの背景が真暗な宇宙であったのが印象的だった。
 
アトランタ市内から路線バスで行った、女性ドライバーにこの博物館で下車するので教えてと頼んでおいたので間違えずに到着することが出来た。バス車内は自分を含めマイノリティーばかりで非日常の世界、映画の1シーンのようでだった。自然の中にある博物館でとても落ち着ける博物館であった。

   
アメリカ ワシントンD.C  




 
国立航空宇宙博物館
(National Air and Space Museum)

Independence Ave. SW.Washington. DC 20560
http://www.nasm.edu/
スミソニアン博物館の中でも最高の人気のある施設である。実物の航空機,アメリカの開発した多数の宇宙ロケットと宇宙船,アイマックス劇場などがある巨大な博物館である。
 展示の目玉となるものは1階の入口近くにある。有名な「月の石」は1972年にアポロ17号が持ち帰ったもので,手で触れることができるようになっている。この玄武岩はみんなが触るので表面がツルツルになっている。
 動力を用いた世界最初の飛行機はライト兄弟によって作られたが,これもホールの天井から吊り下げられている。また,1927年リンドバークによって大西洋単独無着陸横断に成功した「スピリッツ オブ セントルイス」もある。
 比較的新しいものでは世界初の超音速機,アメリカ初の有人宇宙船フレンドシップセブン,アポロ11号の指令船,中距離核ミサイルなど,飛行機と宇宙開発の区切りとなったものが展示されている。
 一般の展示としては1階に旅客機や輸送機などの民間航空機,ヘリコプター関係,ジェット機,月面探査関係など。2階は各種軍用機にかなりのスペースが使われている。第2次世界大戦の戦闘機コーナーには,イギリスのスピットファイア,ドイツのメッサーシュミットなどと並んで日本の零戦もある。さらに宇宙開発関係の膨大な展示があり,ロケットの数々や火星,木星などの惑星探査機を見ると,アメリカがいかに国家の威信をかけて宇宙開発に取り組んでいるかがうかがえる。
 付属のアインシュタイン・プラネタリウムおよび,すばらしい臨場感のある立体映像「アイマックス」も一見の価値がある。3階は食堂,図書室,それに研究施設になっている。

http://www.shinko-keirin.co.jp/hakubutukan/index.htm より引用

 ワシントンDCでの仕事の合間に訪ねた。ホテルからタクシーに乗って行ったのだが、ドライバーのおじさんは鉄道、交通博物館?のほうが楽しいからと薦めてくれたが初志貫徹、子供の頃からの憧れを実現した。しかし、タクシーのおじさんの言うとおり期待が大きすぎたのかパリの博物館のような感動は無く、少し残念だった。官庁街の一角にありウロウロしていると捕まりそうだったのでホリデーインからタクシーで自分の泊まるホテルに帰った。
   
ドイツ ベルリン
 


Museum fur Kommunikation
ベルリン通信博物館 Museum fur Kommunikation Berlin 
Leipziger Strase 16D-10117 Berlin-Mitte +49 (0) 30 202 94 0
http://www.museumsstiftung.de/berlin/d211_rundgang.asp
入館料 EUR 3  開館時間 火〜金 09:00-17:00 土・日・祝 11:00-19:00

1872年に創設で通信の歴史を展示した博物館。2000年に復元された壮麗な建物に、郵便、電話、ラジオ、テレビなど、さまざまな通信手段とその変遷に関する展示を行う。
Facade Drei 500W
sendetrioden
Thermosrohre
            

First Floor:
Theme Gallery and Collection Rooms

電話交換機に使用されたプラグとジャック.110号プラグの原型を見る
First Floor:
Theme Gallery and Collection Rooms

鉱石ラジオ
Detektorempfanger Rfe.20
Telefunken
1925


アメリカのおもちゃの鉱石ラジオについていた探り式鉱石ラジオの部品そっくり。

Telefunken
皇帝ヴィルヘルムII世の特別な要請で、1903年5月27日にシーメンスとハルスケは、無線電話機のためのTelefunkenを創立した。

米で言えばRCA

Stahldrant-Tonspeichergerat Reset
Siemens Wien 1950

Die von der AEG gemeinsam mit der IG-Farben schon 1932 entwickelten magnetischen Tonbander wurden als kriegswichtiges Material streng geheim gehalten.

1932年に磁気録音機を開発したことは、戦略的な素材として極秘にされた。

正確な発音はズィーメンス,
日本では英語読みに基づく「シーメンス」が使われている。
本社所在地 ドイツバイエルン州ミュンヘン
http://www.siemens.com/

1847年12月12日に、ヴェルナー・フォン・ジーメンス(Werner von Siemens) によってベルリンに創業された電信機製造会社、ジーメンス・ウント・ハルシュケ(Telegraphen-Bauanstalt von Siemens & Halske ) に端を発する。

Schiebespulendetektor
um 1923

これもお馴染みの探り式鉱石検波器と可変同調コイルのラジオ

Thermosrohre

真空管の展示

SRW 357 Senderohre Triode
VEB Werk Fur Femmeldewesen. hergestellt ab 1956


典型的な送信管の形状、プレートを水冷する大出力の真空管。

Ikonoskop
Bildaufnahmerohre nach Vladimir Zworykin
Telefunken, 1936

アメリカのツヴォルキンにより開発され、薄い酸化アルミニュウム膜に感光性のカリウム水素化物を塗布しその面にレンズを通して画像を映すと、光の強さに応じて光電子が放出される。その部分に電子ビームを当てると正の電荷と電子ビームの電子が反応し電流が流れる。その電流の量は光の強さに対応する。この電子ビームにより、撮像面全体を端から端まで走査すると電流信号は画像の一部を連続的に電気信号(画像信号)に変換出来、受像機では撮像時と同期した電子ビームにてブラウン管を走査すればの画像を再現できることになる。アイコノスコープの発明によって、全電子テレビジョンが可能になり、電子式の画像送信機(テレビカメラ)が実現した。

Rundfunksender VHF-FM IIa 600W
Rohde & Schwarz, Munchen, 1985
NDR3 Hamburg Frequenz 99.2MHz


Rohde&Schwarz社共同創業者、Dr.Lothar RohdeとDr.Hermann Schwarzは、イエナ(ドイツ東部の町)大学で知り合った。ふたりは、1932年に最初の計測器、波長6〜3,000mの精密周波数メータを開発した。これは高周波アプリケーション用の誘電材料を精密に測定できる世界初の計測器であった。

1933年8月、Thierschstrasse(Thiersch通り)36番地にある約120uのアパートの一室が Physikalisch-technisches Entwicklungslabor(物理技術開発研究所)Dr.Rohde&Dr.Schwarz (略称:PTE)創業の為に改装され、これが後のRohde&Schwarz社である。 独Rohde&Schwarz社の本社はドイツ・ミュンヘン、世界70以上の国々に拠点を持ち、総従業員数は約7,200人