無線科学


依佐美送信所研究
依佐美送信所研究
 

電波
radio wave
空間を伝播しながら広がる波動

光と同じ電磁波と呼ばれている。波長の長い方から電波・光・エックス線・ガンマ線などと呼ばれる

電波は周波数が 30Hz から 3THz (テラヘルツ)の電磁波を指し、波長によって超長波・長波・中波・短波・超短波・マイクロ波に分類される

   
周波数
しゅうはすう
frequency
Hz
Hertz
ヘルツ
波動現象において、周期を T [s] とすると、波の周波数 f [Hz] は次のように定義される
f=1/T [Hz]
さらに、波の速さを v [m/s]、波長を λラムダ [m]とすると
vT=v/f=λ[m]光速度(約30万km/s, 3x10
または
v=fλ[m/s]
という関係が成り立ち、周波数 f [Hz]
f=v/λ[Hz]
で表される
   
Hertz

Hz hertz
kHz kilohertz 103(千)
MHz megahertz 106(百万)
GHz gigahertz 109(十億)
THz terahertz 1012(一兆)

1,000サイクルは、1kHz キロヘルツ
kHzのkは小文字、大文字Kはケルビン
HzのHは人名なので大文字
dBのBはグラハム・ベルのB
MHzのMは大文字
レンタカーはハーツと日本では発音
ハインリヒ・ルドルフ・ヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz)ドイツの物理学者。(ハンブルグ1857年2月22日生誕、1894年1月1日ボン没) 電磁波の実験的な証明を行う。19世紀で最も重要な物理学者の一人である。その名前は周波数を示すSI単位である[Hz]ヘルツとなった。ドイツのドレスデン工業大学、ミュンヘン大学、ベルリン大学で科学と工学を学んだ。キルヒホッフとヘルムホルツの指導学生として、1880年に博士号を取得。キール大学の理論物理の講師であった1883年までは、ヘルムホルツの門下生であった。1885年カールスルーエ大学の教授となり、そこで電磁波を発見した

両端に蓄電用の金属球を有したダイポール状の送信導体(送信アンテナ)の中央に間隙を設ける。ソレノイドコイルによって作られた高電圧によりこの間隙に火花放電を発生させる。離れた部屋に置いた受信ループ(受信アンテナ)の間隙にも同時に小さな火花が発生することを見出した。(電波を受信)この実験により1864年にジェームズ・クラーク・マクスウェルが理論的に予測した電磁波の存在を実験的に確認した。
カールスルーエ工科大学
キャンパス内
 ヘルツの実験を再現 より
   
電磁波
Electromagnetic wave
電界と磁界がお互いの電磁誘導によって交互に相手を発生しあうことで、空間そのものが振動する状態が生まれて、この電磁場の周期的な変動が周囲の空間に横波となって波動が伝播していく、エネルギーの放射現象の一種である。

電磁波の電界と磁界が発生する振動方向はお互いに直角であり、また電磁波の進行方向もこれと直角である。

電磁波の性質は、波長、振幅、伝播方向、偏波面と位相で表される。周波数を横軸として、それぞれの成分の強さをグラフに示したものが、周波数スペクトルである。
   
電波伝播
Radio propagation



エーテル
Ether
電磁波は、基本的には空間中を直進するが、物質が存在する空間では、吸収・屈折・散乱・回折・干渉・反射などの現象が起こる。また、重力場などの空間の歪みによって進行方向が曲がることが観測されている。

空間そのものがエネルギーを持って振動する現象であるため、波を伝える媒体となる物質(媒質)が何も存在しない真空中でも伝わっていくと考えられている。

真空中を伝播する電磁波の速度は一定とされ光速度(約30万キロメートル毎秒 3x10
)と呼ばれている。一方、物質(媒質)中の電磁波の伝播速度は、物体の屈折率によって変化し、屈折率は電磁波の波長に依存するため、物質中での電磁波の伝播速度は波長によって異なってくる。

エーテル(Aether)は、19世紀以前の物理学で、空間に充満していると仮想されていた物質。イーサー(Ether、Aether)ともいう。

1881年マイケルソンとモーリーは、静止したエーテルに対する地球の速度を測定するため、地球の進行方向と直交方向で光の速度を比べる実験を行った。ところが、いくら測定しても速度差を見出すことができなかった。(光速度不変の原理) この実験の後、1905年にアルベルト・アインシュタインが特殊相対性理論を発表した。現在では空間そのものが力や光の媒質であると考えられており、エーテルの存在を仮定する必要はなくなっている。

またエーテルは、コンピュータネットワークのイーサネットEther netの語源になっている。
   
ブランリー
Branly

Edouard Branly(1844年10月23日にパリで生まれる1940年3月24日アミアンで没す)は、フランスの物理学者で無線を研究した先駆者。
通信は、ブランリの検波器とポポフの改良で数百キロメートルの到達範囲を得ることが出来た。 ブランリは無線による遠隔操作の科学者でもありradiocommandeの研究を行った。

Radio conductor 
Musee des Arts et Metiers http://www.arts-et-metiers.net


ブランリのコヒーラ構造概要図 無線科学大系より
Eはガラスの如き絶縁体、PPは金属の栓、Mは緩く填められたニッケルの粉
   
検波
detection
radio conductor
Coherer

デコヒーラ
Musee des Arts et Metiers


デコヒーラ
Musee des Arts et Metiers http://www.arts-et-metiers.net
コヒーラは、ブランリーが考案し、ロシアのポポフ、イギリスのロッジにより更に改良が加えられた。動作は、金属粉末の電導性が電波の到来で増すことを利用したものなのだが、そのコヒーラ検波器を使用した無線電信装置の通信可能距離は、海岸局から船舶との間で、わずかに100海里から120海里(1海里は1852m)程度で、船が港を出てから一夜を過ぎるともう通信不能になってしまうという状態であった。

またコヒーラ検波器はガラス管の中に二つの電極を置き、その間に金属粉を入れておくもので、通常は絶縁状態になっているが、これに電波が到来すれば瞬間的に接触して絶縁を失ない、導通して局部電流を通じ高周波電流を検出するメカニズムとなっている。

しかし高周波電流の通過後は高周波電流の検出が出来なくなる。再び検出するために金属粉の整列を崩す(デコヒール)ことが必要で叩いて元に戻す必要があった。(これをデコヒーラと呼んでいる)

無線科学大系より
   
ポポフ
Попов


 
 

В.И.Шапкин Радио
открытия
и
изобретения


合資会社 平川研究所 コヒーラ
アレクサンドル・ステファノビッチ・ポポフ(Александр Степанович Попов、1859年3月16日 - 1906年1月13日、ロシア暦1859年3月4日 - 1905年12月31日)は、無線通信の発明者である。彼は、聖職者の息子としてUralの山村Turinskiye Rudniki(現在Krasnoturinsk)で生まれた。彼は青春期の初期に自然科学に興味を持つようになった。Permの神学校とサンクトペテルスブルグ大学を1882年の卒業の後、大学の実験助手となる。しかし、大学の給与が低いため、彼はロシア海軍兵学校の教職に就いた。

1890年代初期から彼はハインリッヒヘルツの研究に沿って、実験を行い、1894年最初の受信機をコヒーラを利用し製作した。その後、稲妻探知器Thunder indicatorとしてさらに洗練されて、1895年5月7日にロシアの物理・化学会に発表した。その日は、ロシア連邦で「ラジオDay」として祝われている。彼の調査結果は、新聞で同じ年(1895年12月15日)発行された。1896年に、ポポフの発明を表している記事は、『ロシアのPhysicalと化学会ジャーナル』で再版された。1896年3月に、彼はサンクトペテルスブルグの異なるキャンパスビルディングの間で、電波の伝送を行いった。さらに、ポポフは1898に6マイル、1899年に30マイルの通信を船と陸の間で行った。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alexander_Stepanovich_Popov より

同時期にマルコーニも特許出願しており、一般的な知名度はマルコーニの方が高いが、ポポフの公開実験はマルコーニが成功する実験より4月ほど早かった。また、マルコーニは実際に実験に成功したのではなく、ポポフの公開実験をボローニャ大学の教授アウグスト・リーギから聞いて出願したという説がある。 しかし、当時の海軍上層部が先見性に欠けていたため普及に時間がかかり、1905年の日露戦争では、ロシア海軍はマルコーニ社製の無線電信機を使用した大日本帝国海軍に敗北した。敗因は多々あるが、さまざまな分野に技術的・科学的先駆者を抱えながら、保守的な為、彼らに充分に力を発揮させられなかった。

http://ja.wikipedia.org/ より
Thunder indicator
В.И.Шапкин Радио より
 
鳥潟
Torigata




鉱石検波器
Crystal detector


鉱石の解説は Crystal Radio
鳥潟右一(Torikata Wichi)博士は1883年(明治16年)現在大館市花岡町で当時の酒造業、鳥潟平治氏の長男として生まれた。東京開城中学校、旧制第一高等学校を経て東京帝国大学工科(電気工学科)に入学。1906年(明治39年)には帝国大学(現東大)・大学院を抜群の成績で卒業、恩賜の金時計を拝受したという。もちろん 首席であった。

逓信省電気試験所に入所し、通信工学(特に無線通信)の研究に従事。当時、無線通信で主流であった「コヒラ検波器」は、通信距離が短いうえに安定しない問題があったが、1908年「タンタラム検波器」、1909年「鉱石検波器」を発明し、飛躍的に無線通信機の性能を向上させた。無線電信の発明者マルコニーを高く評価しており、以後は彼と同じく無線電信の研究に没頭していくことになる。

1912年横山英太郎、北村政治郎ともに、TYK無線電話機を発明し、実用無線電話の先端を切る。1914年工学博士。1917年無線通信の双方向通話に成功した。その後、1920年電気試験所長となり、電力線を利用した通信方法である電力線搬送通信 (PLC) 等の研究開発を行った。数々の研究実績は、現代の通信技術の基礎となっている。1923年40歳の若さで他界した。

鳥潟博士が考案したタンタラム検波器は、電極に先端を細く鋭くしたタンタラムを使用したもので、この検波器を使用することにより翌1909年(明治42年)には長崎沖の船との通信も出来るようになったと言われている。ところが、それにとどまらず鳥潟博士は翌1909年(明治42年)には「鉱石検波器」を発明した。これは実に画期的な出来事であり、この鉱石検波器を使用することにより、何と銚子から実に3000海里、ハワイ沖を航行中の「コレア丸」の信号が聞こえた、という無線電信にとっては一大革命が起こったのである。ある種の鉱石と金属針を軽く接触させたもの、或は異種の鉱石を一点で接触させたものに交流電圧を加えると整流される性質があり、これを利用して高周波電流の検波を行なわせたのが鉱石検波器である。と言えば簡単なようであるが、鉱石には沢山の種類があり、素材によってはその動作に著しい差を生じる。また、異種の鉱石を使用する場合でもその組合せにより更に優秀な動作をする場合がある。紅亜鉛鉱と斑銅鉱、紅亜鉛鉱と黄銅鉱、鋭錐鉱と斑銅鉱、輝水鉛鉱と黄銅鉱などの組合せが優れていることは後の研究により判明しているが、鳥潟博士は鉱石検波器用の鉱石発見のため地元の花岡鉱山、小坂鉱山、尾去沢鉱山などでナッパ服にゲートル巻の姿で採鉱鎚を持ち歩き、採集した鉱石も数十種に及んだという。その中から実験結果により最も検波感度の高い鉱石「斑銅鉱と紅亜鉛鉱」を摘出し、それを使用した「鉱石検波器」が誕生したのである。これによって初めて北米航路の船もハワイとの中継により常に連絡出来ることとなった。また、コヒラーの様にいちいち叩かなくとも安定してに動作することになり、この「鉱石検波器」の優れた性能が高い評価と賞賛を得て、鳥潟博士の名声は無線界の一大発明者として世界に知れ亘ることになった。

http://park1.wakwak.com/~ja7ao/history/igai01.htm より
 
日本ラジオ協会発行 ラヂオの日本 第1巻1号 24頁 大正十四年
電気試験所研究所 研究報告第13号 【抜粋】
第一表
感度優秀なる鉱石表
紅亜鉛鉱 86
方鉛鉱 75
磁黄鉄鉱 67
黄鉄鉱 64
毒砂(硫砒鉄鉱) 60
磁鉄鉱 57
第二表
紅亜鉛鉱と組合せたる検波器の感度表
黄鉄鉱 100
班銅鉱 100
毒砂(硫砒鉄鉱) 100
磁黄鉄鉱 96
方鉛鉱 94
黄鉄鉱 80
逓信省 明治四十年から四十二年 鳥潟博士 電気試験所第五部長
   
依佐美送信所

1929(昭和4)年に建設され、当時としては世界最大級の無線送信施設で、長波によるヨーロッパへの送信が日本で初めて行われた。日本の国際通信施設としての重要な役割を果たした。

太平洋戦争開戦の暗号「ニイタカヤマノボレ一二○八」を潜水艦に送信した送信所とされる文献がある。

第二次世界大戦後の米軍による接収、1994(平成6)年の日本への返還を経て、送信所は2006(平成18)年に解体された。2007(平成19)年4月より「花と緑」をテーマの「フローラルガーデンよさみ」の一角に依佐美送信所記念館を建設し、高周波発電機を主とした関係資料を展示し一般公開している。見学無料。

高周波発電機は、主直流電動機により駆動される。電機子(回転子)は質量が16tで256の歯を有する歯車状の構造である。これと対応する固定子には鉄心に巻かれた界磁捲線と出力捲線が円形状に配置されている。規定回転数1,360rpmの時、5.814kHzの周波数と500kWの出力が発生する。1929(昭和4)年にドイツ・テレフンケン社の設計、AEG社の製作によるものである。


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ニコラ・テスラの世界研究中
http://www.pbs.org/tesla/
   
『音波・光波・電波−マイクロ波の基礎まで』
 ウインストン・E・コック 著
Sound Waves and Light Waves by Winston E. Kock  Publisher: Doubleday (June, 1965) Language: English ISBN: 0385027745
藤岡 由才 訳 河出書房 1969-10-20,初版発行、1971-06-21,再版発行、1342-560027-0961

世界の最高頭脳を結集し科学啓蒙書の決定版!!波の物理的性質の解明を軸にマイクロ波技術の基礎知識を平易に解説。

日本語訳は品切・重版未定。国会図書館東京本館に初版(請求記号 MC81-3 )、再版(MC81-7)が所蔵されている。
生態への影響

研究者の間では、周波数に関係なく生体にさまざまな作用を及ぼすことが知られている。電磁波の影響を軽減するには、距離をとって、長時間の使用を避ける

   
R249 G224 B140